読書感想 『帝王』 フォーサイス・作

 最近、『帝王』というタイトルの短編集を読みました。フレデリック・フォーサイスというイギリスの作家です。

 ぼくはこの作家の本を今まで一度も読んだことがありません。代表作の「ジャッカルの日」は映画にもなりましたが、ぼくはその映画も見ていません。

 「帝王」は、短編集で、そしてぼくは短編が好きなので、面白そうなものを二つ三つ読んでみようとこの文庫本を手にしました。

 わざわざ二つ三つと断りを入れたのは、ぼくは傑作短編集でも、全部を読むことはめったになく、その理由は単に根気がないからです。

 で、今回は二つだけ。

 表題作の「帝王」と「アイルランドに蛇はいない」です。

 どちらもタイトルに惹かれました。とくに蛇の方は、素晴らしいタイトルだと感心し、ネットで調べてみると、たしかにアイルランドには蛇がいないようです。

 アイルランドはイギリスのすぐ横にある島国です。

 緯度的にいって、けっこう寒いのでしょう。しかし蛇のいない理由は、寒さではなく、アイルランドは、かつて一度も蛇のいる陸とつながったことがないからです。海底火山の活動によって隆起した島なのです。

 

 ウイキペディアによりますと、 作家のフォーサイスは、イギリスのケント州出身で、ちょっと変わった経歴があります。19歳のときにイギリス空軍に入り、それからロイター通信社の特派員となりました。作家になってからは、007でお馴染みのイギリスの秘密情報部に協力して、スパイ活動も行ったようです。

 

 「アイルランドに蛇はいない」

 

 まずタイトルが秀逸。内容もなかなかのもので、最初から最後まで、隙のまったくない密度の濃い作品でした。

 

 あらすじは、医学生(インド人)がアイルランドの大学で医学を勉強するのですが、生活費を稼ぐためにアルバイトを始めます。建物の解体作業です。その最初の現場が、アイリッシュウイスキーの蒸留工場でした。解体作業は屋根瓦から順々に下っていくのですが、医学生は、ここで危険な作業を現場監督から言いつけられます。三階の壁を適当な大きさに割って外側に蹴れと言うのです。命綱もなく、へたをすれば壁と一緒に落ちてしまいます。その危険性を彼は監督に伝えました。

 現場監督は、最初から肌の色の違うこの医学生を小ばかにしていましたが、指摘されたことで腹を立て、彼に向かって口汚くののしりました。いわゆる差別用語を使ったのです。

 医学生は、由緒ある家柄の出身で、今までそんなことを言われたことがありませんでしたから、心が傷つきました。で彼は興奮し、自分がいかに高貴な生まれかを現場監督に説明したのです。

 しかしそのことが、かえって大男の現場監督を激怒させることになり、医学生はぶん殴られ、吹っ飛び、床に倒れました。それを見ていた他の者は、起きるな、起きたらビッグ・ビリーに殴り殺されると忠告します。

 医学生は屈辱の中、どうすることもできませんでした。

 現場監督が立ち去るとき、医学生はふと頭に勇敢だったご先祖たちの姿が浮かびました。

 ご先祖たちは、彼に向かって一様に「復讐」という言葉を投げかけましたが、これは屈辱を受けたら、その仕返しをする、というのが彼らの掟だったからです。

 医学生が、現場監督に対し復讐を誓ったことは言うまでもありません。 

 

 医学生は自分の部屋に郷土の女神シャクティを祀る祭壇を設け、復讐に対する祈りを捧げます。祈りをしている間、なぜか外は雷雨となり、部屋の壁にかけていたガウンの紐が下に落ちて蛇がとぐろを巻いたような形になりました。それを見て彼は、これは復讐に蛇を使へ、と女神が教唆したと、とらえました。

 インドにはコブラをはじめたくさんの毒蛇がいます。彼はその中で最も小さな毒蛇を復讐の手段にすることを決めました。たしかにキングコブラのような大きなものは、取り扱いが難しいうえに、かえって自分が危険になります。

 で彼はいったんインドに帰り、小さな毒蛇を持って再びアイルランドに戻って来ます。

 ここから、ストーリーは一転二転します。医学生の立場で考えると、いらいらしますが、結末が、とても粋な感じで、思わず、うふふとなります。

 オチの素晴らしい、見事な構成でした。

 

 「帝王」

 

 表題作の「帝王」とは、海の魚であるマカジキのことです。というか、マカジキの中でもとりわけ大きな一匹で、周辺の漁師たちが敬意を表して付けたニックネームでした。

 

 物語は、ロンドンの銀行の支店長であるマーガトロイドとその妻、そして同じ銀行の本店勤務で若手のヒギンズ、この三人がヒースロー空港モーリシャスに向かって出発するところから始まります。

 一週間の休暇ですが、これは銀行がマーガトロイドとヒギンズに対して、日頃の勤務態度及び功績を称えての報酬でした。因みに同じ銀行ですが職場が違うので、マーガトロイドとヒギンズは初対面です。

 行き先のモーリシャスは、かつてイギリスの植民地でした。マダガスカルの東方、インド洋に浮かぶ小島です。

 三人は島のホテルに到着し、ここで一週間滞在します。

 モーリシャスはのどかできれいな島です。が、その一方で退屈です。なぜなら、することが限られているからです。海で泳ぐか釣りをするか、あるいは散歩をするか、もちろんホテルで酒を飲むこともできますが、せっかく南洋の島に来たのですから、ここでしかできないことをしたいものです。

 船釣りはイギリスでもできますが、ここの船釣りは豪快です。ゲーム・フィッシングと呼ばれ、釣れるのは、シマガツオ、カジキ、マグロといった大きなものばかりです。まあシマガツオはそれほど大きくはありませんが、引きはけっこう強いようです。

 マーガトロイドとヒギンズは、あることからこのゲーム・フィッシングに参加することになりました。

 ある朝、二人は船に乗って沖に出ます。

 どちらも釣りの素人なので、最初はシマガツオしか釣れません。しかし、船頭は、そのシマガツオを餌にして、海に投げ込みますと、カジキがかかるようになりました。

 釣りは順番制でマーガトロイドがロッドを握っていたときに巨大なマカジキがかかったのですが、これが帝王と呼ばれる怪物でした。

 

 この釣りは体力勝負で、釣り人はファイテング・チェアに腰かけてやるのですが、それは体を椅子に固定しなければ、あっという間に海に放り出されてしまうからです。それほど強力なパワーを持った魚たちです。

 帝王はマカジキの怪物ですから、大苦闘したことは言うまでもありません。実際この記述が、これでもか、というくらい描かれています。

 日頃大して運動をしていない銀行員のマーガトロイドは体中傷だらけになります。リールを巻いたり緩めたりする駆け引きで、長時間、帝王が弱るのをじっと待ちます。

 結果は書きませんが、最後は以外な結末になります。いえ、定石と言っていいかもしれません。たしかにすんなり帝王を釣り上げて、めでたしめでたし、では、つまりませんから。

 それにしても銀行員って、つらい稼業なのですねえ。

 

 今回はこのへんで失礼いたします。